adidas ウンチク色々 !!
ダスラー一家
アディダスの創業者、アドルフ・ダスラーは生地・織物製造業を営んでいた
クリストルフ・ダスラーの息子として1900年に誕生した。
後にダスラー家では室内用の履物製造に着手し、
20年にはアドルフと兄のルドルフの共同経営でダスラー兄弟社を設立。
自らが陸上選手であったアドルフは、多くのスポーツシューズの開発に尽力する。
が、第二次世界大戦後の47年、アドルフとルドルフはある誤解から仲違いし、
ダスラー家を出たルドルフは後にプーマとなる会社を設立。
2人はライバル関係になった。
アディダス
1948年設立。前身は既述のダスラー兄弟社。
47名の工員からスタートし、同時にアディダスのトレードマークとなっている
3ストライプが正式に商標登録される。
現在はドイツ本社をはじめ世界中に支社を巡らす
インターナショナルカンパニーとなっている。
ヘルツオーゲンアウラッハ
ダスラー一家の故郷であり、アディダス創業の地。
一時はアディダス社とプーマ社が川を隔てた同じ町に燐立し世界の最高級スポーツシュ
ーズが1つの町から生産されていた。現在もアディダス博物館は
このヘルツオーゲンアウラッハにある。
デサント
アディダスの日本正規代理店。
前身は石本商店。(1935年が創業、デサントへ社名変更は51年)。
その後、ライセンス事業をメインに、ゴルフのマンシングや水泳のアリーナ等を扱う。
アディダスのシューズ・バッグの製造・販売したのは83年から。
以降、日本におけるアディダスの普及に大きく貢献する。
トレフォイル
3本線と並ぶアディダスのシンボルマーク。
元々トレフォイルのロゴは古代ギリシアの祭典で勝利者のみに与えられた
月桂樹の冠をモチーフにデザインしたモノ。
アディダスがトレフォイルを正式採用したのは
1974年のワールドカップ・西ドイツ大会から。
スリーストライプライン(3本線)
アディダスの象徴といえる3本線が正式登録されたのは創業と同時。
元々はレザーシューズが履いているうちに伸びてしまう欠点があった為、特に中央部を
サポートする補強として3本のバンテージを付けたのが始まり。それが後にデザイン性と
相まって3本線の機能美となった。
シェルトゥー
スーパースターやプロモデルに採用されたラバートゥーの名称。
耐久性と着地時の安定性を考慮し考案されたラバートゥーの形状が貝殻に似ていたこと
からシェルトゥーと呼ばれたモノ。
だが、スーパースターの初期モデル(1979年代初頭)
にはまだシェルトゥーが採用されずシェル無しと呼ばれ、シェルトゥー採用後(70年代中
頃)に改良型として登場したつま先周りのみのラバーのモノをハーフシェルと呼ぶ。
Dリング(D環)
1970年代のSL76やランナーなど当時のトップモデルに採用された
シューレース部の樹脂製アイレット。
その形状がD型であることからDリング又はD環と呼ばれるが
正式名称はギリー環。
素早く均一に締められ着脱がよりスピーディーがコンセプト。
ヒールパッチ
シューズのヒール上部に取り付けられた補強用レザー。
アキレス腱保護の目的でアディダスがスポーツシューズに初採用したモノ。
トレフォイルなどロゴがプリントされるようになったのは2次的なデザイン。
フランス製
1970年〜80年代後半にかけ、アディダスのバスケットボールシューズの多くがフラン
スにて生産された。そのため、フランス製というのが1つのVINTAGEの価値基準に。
西ドイツ製
ランニング系のシューズで稀にみる事ができる本国生産モノ。
各時代のトップモデルやアパレル類が存在するがそのレア製はダントツ。
初期SLシリーズやマイクロペーサーなどのハイテク種のみが対象。
ロッド・レーバー
1960年代末〜70年代に活躍した史上最強のレフトハンド・プレーヤー。
ニックネームは ロケット 。
70年代中期に発売されたシグニチャーモデルはオールメッシュの異色なスタイル。
95年にオリジナルスの1つとして復刻。
スタンスミス
1960年代〜70年代にかけて活躍したプロテニスプレーヤー。
コートの紳士と呼ばれた彼の戦績は70年マスターズ、
71年USオープン、72年ウィンブルドン優勝等、数多くのトーナメントを制した。
彼が愛用していたシューズは元々ハイレットという名だったが
65年にスタンスミスという名でリニューアル。
その後、91年のギネス・フランス版では当時2200万足の販売記録を持っていた
スタン・スミスが世界一売れたスニーカーとして記録された。
現在もこのモデルは非常に人気が高い。
定番中の定番といえるだろう。
カリーム・アブドゥル・ジャバー
1970年代後半〜80年代にかけて活躍したアディダス契約のNBA選手。20世紀最高
のセンターといわれたジャバーの成績はつうさん38387得点、通算ブロックショット31
89回、シーズンMVP6回。1978年に発売されたジャバーのシグニチャーモデルには
芸術的なスカイフックを放つ姿がプリント。その後の発売のジャバー2にはトレフォイル。
80年代中期に発売された後期ジャバーは顔ベロへと変遷していく。
ユーイング
NYニックス所属の元アディダス契約選手。
1987年〜88年にシグニチャーモデルとしてコンクエスト(ユーイングプロ)
とリバルリー(ユーイングスター)をリリース。
NYを代表するスタープレーヤーとの契約は80年代アディダスのトピック。
RUN−DMC
最近でもニューアルバムを発表し、健在ぶりをアピールした
1980年代を代表する大御所HIPHOPアーティスト。
MY ADIDAS というタイトルの曲もあるほどのアディダス信奉者で
普段からスーパースターを履いていた。
ヒモ無しで履けるというリクエストの応えて誕生したのが
88年のRUN−DMCモデルだ。
黒人文化とシンクロしたアディダスって素晴らしい!
ちなみにRUN−DMCモデルの
ウルトラスターやフリートウッドはRUN−DMCのタグ付きです。

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